俺はプリキュアオタクだ

俺はプリキュアオタクだ。過去15年にわたる全シリーズ全話観ているし、いまでも毎週観ている。

 

プリキュアを観るようになったのは、2012年『スマイルプリキュア!』の放送が開始され、Twitterでも話題になっていた頃だ。ちょうど中学を卒業する直前くらいだった。

俺は『ヘルシング』『ドリフターズ』の作者である平野耕太のアカウントをフォローしていて、ヒラコーが『スマプリ』に関するツイートを連投していたのが「ちょっと観てみようかな」と思ったきっかけだった。

『スマプリ』は基本ギャグテイストで、キャラクターデザインもキャッチーで可愛らしく、シンプルに「面白い」「笑える」アニメだった。「キュアハッピーがロボットになってキュアピースが操縦する回」とかいま思い返しても意味がわからない。

 

俺は一度何かにハマると夢中で「研究」してしまう性格で、当時はろくに学校にも行っておらず時間もあったから、「初代の1話から全部観てみよう」という極端な発想に至ってしまった。そこからはひたすらツタヤに通う日々を送った。

 

「初代」とは2004年放送開始の『ふたりはプリキュア』と、その翌年の直接の続編『ふたりはプリキュア Max Heart』を指す。キュアブラックキュアホワイト徒手空拳の肉弾戦を繰り広げる、当時としては斬新なスタイルの女児向けバトルヒロインアニメだ。監督は『ドラゴンボール』『エアマスター』の西尾大介氏で、そのアクションアニメにおいて培った手腕が遺憾なく発揮されている。その反面キャラクターの心情や微妙な関係性の機微も細かく描写されており、無印の第8話は今でも「伝説」と名高いエピソードだ。未見の方はとりあえず騙されたと思って1話から8話までだけでも一度観ていただきたい。

 

「初代」に続いて『ふたりはプリキュア Splash☆Star』『Yes!プリキュア5』『Yes!プリキュア5 go!go!』『フレッシュプリキュア!』『ハートキャッチプリキュア!』と順々に観ていくなかで、その次のシリーズ、2011年の『スイートプリキュア♪』は俺にとってものすごく特別な作品となった。

 

先述のとおり、俺は精神的な不調のために中学にろくに行っていなかった。だから普通制の高校に進学するのはあまり現実的な選択肢とはいえず、結果的にいわゆる通信制高校に進学することになった。高校に上がってからは少しずつ回復しつつあったが、それでも自分は「落伍者」だという意識が少なからずあった。

 

そんな中で出会った物語が『スイートプリキュア♪』だった。

 

スイートプリキュア♪』の「スイート」は「sweet」ではなく「suite(組曲)」だ。「音楽」をモチーフにしたシリーズである。

物語は、北条響キュアメロディ)と南野奏キュアリズム)のエピソードからスタートする。2人は幼馴染なのだが、訳あって不仲の状態が続いていた。妖精ハミィの力によってプリキュアに変身しても喧嘩ばかりで上手くいかず、放送開始から2ヶ月くらい経ってようやくお互いの誤解が解け、和解することになる。

物語中盤、新たなプリキュアである黒川エレンキュアビート)が仲間に加わる。このキャラクターは序盤から登場していたのだが、元々は敵キャラクターであり、かつてはハミィと友達だったのだが悪に染まってしまっていた。エレンは自らの誤ちを悔い、プリキュアとして戦っていくことで過去を乗り越えていく。このキュアビート覚醒回は何度観ても泣いてしまう。

物語の終盤、具体的にいうと47話だ。真の黒幕、いわゆるラスボスであるキャラクター「ノイズ」が登場する。はじめは「敵」としてノイズを倒そうとしていたプリキュア達だったが、キュアメロディはノイズが心のうちに悲しみを抱えていることに気づく。

ノイズは「この世界の悲しみの結晶」として生まれた存在だった。自らを「醜い」と感じ、すべての音を消し去り、自分自身さえも消えた「静寂な世界」を望んでいた。

それらが明らかになったとき、プリキュアはこれまで「倒そうとしていた敵」を「救う」ことを決意する。「あなたの笑顔も守らなきゃ、プリキュアの名が廃る」という台詞とともに。

 

ここでタイトルに冠された「スイート suite=組曲」の本当の意味が露わになる。

 

この世界には「悲しみ」が存在する。それはどうしようもないことであり、ないことにはできないものだ。ならば「悲しみ」に背を向けたり黙殺したりしようとするのではなく、正面から向き合い、受け容れ、乗り越えていけばいい。「悲しみ」もこの世界の一部であり、「悲しみ」も含めてはじめて、世界はひとつの「組曲」なのだ。

だからノイズも「消し去るべき敵」ではなく「この世界の一部」であり、「救われるべき存在」なのだ。

 

このエピソードを観たとき、俺はたぶん人生であれほど感動で泣いたことはないというほどに、自分でも信じられないほどの量の涙を流していた。ああ、これは俺の物語だ、俺はまだこれから生きていけるんだ、生きていていいんだ、と思った。

「今は幸せに思えなくても、いつかはそう思える時がくる」。これを陳腐な楽観主義として一笑に付すのは簡単だが、物語のなかで放たれたこの台詞は、当時の俺にとって、強烈な説得力をもって響いた。俺はそのとき、心の底から「そうかもしれない」と感じた。

 

プリキュアが「悲しみの結晶」であるノイズをただ倒すのではなく、その存在を受け容れ、許し、救うことができたのは、最終話までのストーリーのなかで、彼女たち自身が自分や他者の過ちや欠点に向き合い、許し、克服することで成長してきたからだ。

俺はそんなプリキュア達の姿を見て、自分の過去も、いまの現状も、向き合い、許し、受け容れよう、乗り越えようと思うことができた。

 

スイートプリキュア♪』は俺にとって「福音」であり、自分の人生に最も深く関わったフィクションだ。その「恩義」はこの先忘れることはないだろう。

 

物語には人生を動かす力がある。それは映画でも小説でも、日曜朝の子ども向けアニメ番組でも変わることはない。失意の中で『プリキュア』に心を、人生を救われた人間が、少なくとも1人はここにいる。

 

暖かい季節が近づくと毎年あの頃のことを思い出す。ツタヤでレンタルしたDVDを家のリビングで再生するだけで一日が終わっていたあの頃だ。しかしそのとき眺めていたアニメのヒロイン達の姿は、あの頃もいまも、間違いなく俺に勇気や希望を与え続けてくれている。

 

そして忘れてはならないのが、『スイートプリキュア♪』が2011年に放送していたという事実だ。東日本大震災で日本中に「悲しみ」が渦巻くなか、「悲しみを受け容れて乗り越える」という、非常にセンシティブではあるが真摯なメッセージを発信していたのがプリキュアシリーズだったことはここに明記しておきたい。

 

後期オープニング主題歌「ラ♪ラ♪ラ♪ スイートプリキュア♪  〜∞UNLIMITED∞ ver.〜」の歌詞は、震災を踏まえたうえで聴くと、俺はなぜかいつも泣いてしまう。

 

シング! いま、みんなで

スイング! 唄いたい

FOR YOU(FOR ME)

FOR GIRLS(FOR BOYS)

その 涙かわくまで

 

 

昨日は今日の種

明日に花咲かせよう

どんなに暗い夜空にだって

星は光るファンタジー