子どもの頃から音楽をよく聴いていた

子どもの頃から音楽をよく聴いていた。

 

小学校4年生、9歳か10歳の頃だったと思う。漫画『DEATH NOTE』が実写映画化され、クラスでも人気を博していた。その映画版の主題歌であるRed Hot Chili Peppersの「Dani California」「Snow」が、俺が幼いながらにして(たぶん)初めて「カッコいい」と感じたロック・ミュージックだった。

もちろん当時は英語なんてわからないから、ネットにアップロードされたミュージック・ビデオを何度も繰り返し聴きながら、「発音」を覚えて歌っていた。要するにデタラメ英語だったが、フルコーラスで「そら」で歌っていたと思う。

ほどなくして、両親の影響でEaglesが好きになった。ベスト・アルバムをツタヤでレンタルして、親父からお下がりでもらった音楽プレーヤーで「Hotel California」や「Desperad」なんかを何度も聴いていた。気味の悪い小学生だ。

 

小5あたりは、洋楽よりも日本のポップ・ミュージックを聴いていた記憶がある。まあ、BUMP OF CHICKENとかRADWIMPSとかそういうのだ。ほかにはRIP SLYMEとか福耳(杏子、山崎まさよし元ちとせスガシカオスキマスイッチらによるユニット)、とか、B'zとかも好きだった。いまにしてみれば、J-POPからいろんなジャンルの音楽を吸収していた時期だったように思う。

 

小6くらいになると、ちょっと好みがロックに寄ってきて、AerosmithとかOasisを聴くようになる。エアロスミスはお小遣いでベスト・アルバムを買った。その封入特典のギター・ピックはまだ未開封のまま持っている。

日本の音楽では、マキシマムザホルモンが好きだった。これもアニメ版『DEATH NOTE』がきっかけだったと思う。どんだけデスノート好きなんだ俺。

マキシマムザホルモンのホームページもよく覗いていた。メンバーの紹介ページでは「影響を受けた音楽」の欄に長々といろんなバンド、ミュージシャンの名前が並んでいて、それを手がかりにたくさんの音楽にアクセスしていた。

たしかこの頃からギターを始めたんだと思う。ホルモンのバンドスコアを買って練習して、『ぶっ生き返す』というアルバムに入っているすべての曲を弾けるようになるまで練習した。

 

中学にあがると、CDをレンタルするためにひたすらツタヤに通っていたような気がする。この頃は本格的な洋楽厨だった。SYSTEM OF A DOWNやTool、Marilyn MansonNirvanaRadioheadあたりが好きだった。

もちろん日本のロックも聴いていて、特に神聖かまってちゃんにはかなり傾倒していた時期があった。ライブにも行った。もしかしたら初めてライブに行ったバンドが神聖かまってちゃんだったかもしれない。「ロックンロールは鳴り止まないっ」を初めてYouTubeで聴いたときのショックはいまでもよく覚えている。

あとは銀杏BOYZ野狐禅もかなり聴いた。部活の帰り道、本当は持ってきちゃいけない音楽プレーヤーとイヤホンを服の下に通して、こっそり野狐禅の「山手線」を聴きながら帰ったりしていた。なんというか中学生ってセンチメンタルな生き物だよなと思う。

この年はthe pillowsの結成20周年記念ベスト・アルバム『Rock stock & too smoking the pillows』が発売された年で、このアルバムも擦り切れるほど聴いていた(レンタルのmp3音源だから擦り切れるも何もないのだが)。「New Animal」のイントロのギターとかいま聴いても痺れるほどカッコいい。

 

中2のときのことはあまりよく覚えていない。特にこれといって大きな出来事があったわけではないのだが、この頃から少し精神的に不安定になり始め、中2の秋頃から卒業するまでほとんど学校に行っていなかった。それでも音楽だけは聴いていたように思う。この時はマジでヤバい時期で、syrup16gにはずいぶんお世話になった。あとAphex Twinとか聴き始めたのもこの頃かな。

 

学校に行っていないあいだ、深夜から明け方にかけて外を散歩するのが好きだった(補導対象だ)。そのときいちばん聴いていた音楽がゆらゆら帝国だった。

ゆらゆら帝国というバンドはもはや俺の中で「レジェンド」であり「殿堂入り」している。ロックバンドとしては永遠に不動の1位だ。あらゆる点において完璧なバンドだと思う。楽曲、サウンド、歌詞、佇まい、アートワーク、ボーカルの色気のあるブサイクさ、アルバムを重ねるごとの変化、解散の仕方、そのどれもが一級品で、ここまで高いアベレージを叩き出すロックバンドを少なくとも日本において俺はほかに知らない。

ゆらゆら帝国をきっかけにして、サイケデリック・ロックが自分にとっての核になったように思う。

 

高校生になると、山本精一をはじめとする日本のインディーズ音楽を漁り始める。山本精一という人はとにかく多作で、ひとりでいくつものバンドやユニットに参加している。ボアダムスのギタリストとして知られているが、ソロ活動に加え、羅針盤想い出波止場ROVO、PARA、Novo Tono、ya-to-i、MOST等、ちょっと数えきれないほど多岐にわたる活動をしている。とくに羅針盤の『ソングライン』『福音』、山本精一Phewの『幸福のすみか』は名盤だと思う。俺は結局のところポップで変な音楽が好きなのだが、この嗜好が形成されたのは山本精一に依るところが大きい。

 

大学1年のとき、moools(モールス)というバンドに出会う。20年以上メンバーを変えず活動しているベテランバンドで、東京のインディーズシーンではヒーロー的ポジションらしい。mooolsの楽曲にはフックがないというか、一度聴いてすぐに良さがわかるタイプの音楽ではなく、事実俺はハマるまでに3ヶ月を要した。しかし一度ハマるとその沼から抜け出すのは容易ではない。随所にユーモアが散りばめられたサウンド、バンドという「生き物」としてのグルーヴ、あまりに前衛的すぎる歌詞、時々顔を覗かせる綺麗なメロディ(時々なのが良い)、あまり高いとはいえない歌唱力のボーカル、地味にテクニカルなリズム隊(ほんとに地味)、とにかく客を笑わせることに特化しまくったライブパフォーマンス、その全てが奇妙なバランスの上に成立している。正直ゆらゆら帝国の次に好きなバンドだ。

 

そして大学2年くらいのときに、なぜか小沢健二にハマる。自分でも振り幅が理解できないが、俺のiTunesの再生回数ではかなり長いあいだ「ラブリー」が1位だった。『Life』が名盤とされているが、その前の1stアルバム『dogs(犬は吠えるがキャラバンは進む)』のほうが好きだ。とくに「天使たちのシーン」という14分くらいある曲はあらゆるJ-POPの中でも最高クラスの名曲だ。こんなに美しいJ-POPを俺はほかに知らない。

Flipper's Guitarの『CAMERA TALK』もアホみたいにヘビロテしていた。30年近く前の音楽とは到底思えない。「恋とマシンガン」はサークルで作った演劇のテーマソングに使ったこともあって思い入れが深い。アルバムでは「ビッグ・バッド・ビンゴ」が好きだ。

たぶん何十年後かになって「自分にとっての青春の音楽」を思い出すことがあるとすれば、それは小沢健二とFlipper's Guitarだと思う。現時点での40代の音楽好きがそうであるように。これらの音楽には19歳の俺と20歳の俺のあらゆる感情が詰まっている。

 

大学3年にして、生まれて初めてアイドルにハマる。まあこれを読んでる人は俺のツイッター見てるだろうから今更説明するまでもないと思うが、皆さんご存知、富士山ご当地アイドル3776だ。これについてはいつかちゃんとした形で書きたいと思っているのでここではあえて書かない。ただひとつ言えるのは、いま現時点で、日本でこの水準の音楽をやっている人は、俺の知る限りほかにいない。「前衛」という意味では完全に「最前線」だ。

 

大学4年は米津玄師とかハンバートハンバートとか聴いてた。というか丸5ヶ月くらい米津玄師しか聴いてない時期があった。米津玄師はいまメチャクチャ売れてるけど、やっぱりすげえな、天才だなと思う。こういうちゃんとした才能のちゃんとした音楽がちゃんと評価されてちゃんと売れてるのは音楽好きとしては喜ぶべきことだ。

米津玄師の多彩な才能のなかでもっとも注目すべきは何よりもアレンジの力量だと思う。編集力といってもいい。歌詞もメロディも面白いと思うがあのアレンジあっての米津玄師だと思う。かなり変なところでかなり変な音を入れてくる。そこにその音入れるの? という箇所がかなり多い。地味にめちゃくちゃ細かいところ凝ってる。個人的にいちばん「狂ってんな」と思ったのは2ndアルバム『YANKEE』収録の「KARMA CITY」で、この曲、Aメロが2つある。どういうことかというと、歌詞もメロディも違う2つのAメロが同時進行する。実際に聴いてもらわないと伝わらないと思うが、わりとどうかしている。

米津玄師は1stアルバム『diorama』とか聴くとわかるけど元々はそれほど分かりやすいポップ・ミュージックを作るミュージシャンではなかった。『diorama』はサウンドとしては由緒正しいインディー・ギター・ロックという感じで、Sonic Youth的にノイジーなギターが随所に織り込まれている。1曲目のイントロからスライサーかかってるし、最後の曲ではギター6本くらい重ね録りしてる。要は「インディーズ的な売れない音楽も作れる」人が、「あえて意識的に」売れ線に走っているのだ。そこが米津玄師のミュージシャンとしての力量を物語っている。

 

さすがにそろそろきりがないのでこの辺にしておく。ここに書ききれなかった音楽も多いが、基本的にいまの自分のベースというか、過去を振り返ったときに各ポイントで重要な影響を受けたと思われる音楽を挙げた。乱雑な殴り書きに近いが、一度自分の音楽遍歴みたいなものを可視化したいと思っていたので、その目的は達成できたように思う。

 

最近自分よりたくさん音楽を聴いている人達と仲良くさせてもらう機会が増え、まだまだ世の中には面白い音楽が山ほどあるな、と感じる。とくにアイドル界隈はいま本当に面白い。奇妙な音楽やシンプルにハイクオリティな音楽がたくさん転がっていてなかなか飽きることがない。

 

こんな風に、子どもの頃から音楽をよく聴いていたし、いまも毎日聴いている。音楽を聴かないで一日が終わることはほとんどない。音楽を聴いているだけで毎日驚くことができる。ただそれだけで何かが報われるような気持ちになる。そして明日も何か驚くことができればいいな、と思いながら今日はもう筆を措くことにする。眠いし。

 

さて明日の朝は何を聴きながら出勤しようか。