誰に見られるわけでもないのだが

誰に見られるわけでもないのだが、なんとなくまとまった文章が書きたくなることが時折あって、思いつくままにブログを開設してみた。

こういうのはあまり長続きしないたちで、昔から日記なんかをつけ始めてはすぐに飽きてしまうという経験を何度も繰り返している。

たいていのことはツイッターで事足りるし、あえて長文で書くような出来事や思想や趣味なんてものも大してあるとは思えないのだが、ただ「書く」という行為に伴う快楽は知っていて、それをもう少しだけ追求してみたくなったのかもしれない。

 

このブログにどんなことを書くかはまだ考えていない。好きなものごとについて自閉的に語ったり、車を運転しながら考えた取るに足らない思いみたいなものを恥ずかしげもなく晒したりするかもしれない。あるいはいつものように飽きて放置したり、いつのまにかブログ自体消えているかもしれない。

いずれにせよこういうのはとにかくやってみることが大事で、飽きたら飽きたでそれで構わないのだと思う。最初から自分の為だけにやることだし、ほんとに気が向いたときに更新していくつもりだ。

 

手始めに少しだけ自分のことを書く。

 

俺(一人称というのはいつも迷う。とりあえずここではリアルで用いている一人称を使うことにする)はいま22歳で、今年の春に大学を卒業して社会人になったばかりだ。

大学では心理学を勉強していた…のだが、そこである教授(俺の「師匠」だ。)に出会い、心理学よりも哲学や現代思想、文学のほうが面白くなってしまった。具体的には、哲学は永井均現代思想ラカンフーコー、文学は村上春樹が興味の対象になる。

 

村上春樹については、すごく好きなわけでもないし、ファンというわけでもないのだが、先述した「師匠」が受け持つ講義で村上春樹作品の読解のようなことをしていて、一時期は俺が学生に配るレジュメを作ったり、教壇に立って講義したり、要は教授と2人で授業を進める、というまあまあ変なことをしていた。その時書いた文章ももしかしたらここに載せるかもしれない。

 

ラカンフーコーはその存在を知ったときからずっと興味を惹かれている。

ラカンはフランスの精神分析家で、とにかく書くものが異様なまでに難解なことで知られている。その主著『エクリ』は翻訳の問題もあるがほとんど呪文というか電波文に近い。

ラカンが考えたことを超絶単純化すると、「人の心は、言葉が集まってできている」ということだ。だから精神的な症状を丁寧に紐解いていくと、結局はその人の心の奥にある「言葉」が問題になってくる。そしてそれは精神病や神経症、倒錯といった形で現れてくる。

ラカンについては勉強不足の俺がしょぼい説明をするよりも、『疾風怒濤精神分析入門 ジャック・ラカン的生き方のススメ』(片岡一竹 著,誠信書房)を一読して頂くのがベストだと思う。この本は俺が知る限り最良のラカン入門書だ。Amazonにもレビューを投稿したくらいだ。これはマジの良書なので読んだ方がいい。

 

…自分の話をするつもりがどんどん脇道に逸れてきたので、フーコー永井均については割愛する。どのみちうまく説明できる自信もないし。

 

俺は静岡県静岡市で生まれ育って、いまも静岡に住んでいる。『ちびまる子ちゃん』のさくらももこ先生と同郷だ。

小さな頃から『まる子』を観て、読んで育ってきて、『まる子』の世界と同じ街に住んでいる、というのを実感しながら暮らしてきた。だから『まる子』はほとんど俺のアイデンティティの一部になっている。誇りといってもいい。I'm Proudだ。華原朋美だ。

 

そして俺には静岡でもうひとつ、現在進行形で「誇れるもの」があるのだが、それについてはまた後日書くこととする。

 

中途半端で恐縮だが、ひとまず今日はここまでにしよう。なぜなら眠いからだ。もしここまで読んでくれた方がいたならば感謝する。これからもよろしく。

 

では。