俺はプリキュアオタクだ

俺はプリキュアオタクだ。過去15年にわたる全シリーズ全話観ているし、いまでも毎週観ている。

 

プリキュアを観るようになったのは、2012年『スマイルプリキュア!』の放送が開始され、Twitterでも話題になっていた頃だ。ちょうど中学を卒業する直前くらいだった。

俺は『ヘルシング』『ドリフターズ』の作者である平野耕太のアカウントをフォローしていて、ヒラコーが『スマプリ』に関するツイートを連投していたのが「ちょっと観てみようかな」と思ったきっかけだった。

『スマプリ』は基本ギャグテイストで、キャラクターデザインもキャッチーで可愛らしく、シンプルに「面白い」「笑える」アニメだった。「キュアハッピーがロボットになってキュアピースが操縦する回」とかいま思い返しても意味がわからない。

 

俺は一度何かにハマると夢中で「研究」してしまう性格で、当時はろくに学校にも行っておらず時間もあったから、「初代の1話から全部観てみよう」という極端な発想に至ってしまった。そこからはひたすらツタヤに通う日々を送った。

 

「初代」とは2004年放送開始の『ふたりはプリキュア』と、その翌年の直接の続編『ふたりはプリキュア Max Heart』を指す。キュアブラックキュアホワイト徒手空拳の肉弾戦を繰り広げる、当時としては斬新なスタイルの女児向けバトルヒロインアニメだ。監督は『ドラゴンボール』『エアマスター』の西尾大介氏で、そのアクションアニメにおいて培った手腕が遺憾なく発揮されている。その反面キャラクターの心情や微妙な関係性の機微も細かく描写されており、無印の第8話は今でも「伝説」と名高いエピソードだ。未見の方はとりあえず騙されたと思って1話から8話までだけでも一度観ていただきたい。

 

「初代」に続いて『ふたりはプリキュア Splash☆Star』『Yes!プリキュア5』『Yes!プリキュア5 go!go!』『フレッシュプリキュア!』『ハートキャッチプリキュア!』と順々に観ていくなかで、その次のシリーズ、2011年の『スイートプリキュア♪』は俺にとってものすごく特別な作品となった。

 

先述のとおり、俺は精神的な不調のために中学にろくに行っていなかった。だから普通制の高校に進学するのはあまり現実的な選択肢とはいえず、結果的にいわゆる通信制高校に進学することになった。高校に上がってからは少しずつ回復しつつあったが、それでも自分は「落伍者」だという意識が少なからずあった。

 

そんな中で出会った物語が『スイートプリキュア♪』だった。

 

スイートプリキュア♪』の「スイート」は「sweet」ではなく「suite(組曲)」だ。「音楽」をモチーフにしたシリーズである。

物語は、北条響キュアメロディ)と南野奏キュアリズム)のエピソードからスタートする。2人は幼馴染なのだが、訳あって不仲の状態が続いていた。妖精ハミィの力によってプリキュアに変身しても喧嘩ばかりで上手くいかず、放送開始から2ヶ月くらい経ってようやくお互いの誤解が解け、和解することになる。

物語中盤、新たなプリキュアである黒川エレンキュアビート)が仲間に加わる。このキャラクターは序盤から登場していたのだが、元々は敵キャラクターであり、かつてはハミィと友達だったのだが悪に染まってしまっていた。エレンは自らの誤ちを悔い、プリキュアとして戦っていくことで過去を乗り越えていく。このキュアビート覚醒回は何度観ても泣いてしまう。

物語の終盤、具体的にいうと47話だ。真の黒幕、いわゆるラスボスであるキャラクター「ノイズ」が登場する。はじめは「敵」としてノイズを倒そうとしていたプリキュア達だったが、キュアメロディはノイズが心のうちに悲しみを抱えていることに気づく。

ノイズは「この世界の悲しみの結晶」として生まれた存在だった。自らを「醜い」と感じ、すべての音を消し去り、自分自身さえも消えた「静寂な世界」を望んでいた。

それらが明らかになったとき、プリキュアはこれまで「倒そうとしていた敵」を「救う」ことを決意する。「あなたの笑顔も守らなきゃ、プリキュアの名が廃る」という台詞とともに。

 

ここでタイトルに冠された「スイート suite=組曲」の本当の意味が露わになる。

 

この世界には「悲しみ」が存在する。それはどうしようもないことであり、ないことにはできないものだ。ならば「悲しみ」に背を向けたり黙殺したりしようとするのではなく、正面から向き合い、受け容れ、乗り越えていけばいい。「悲しみ」もこの世界の一部であり、「悲しみ」も含めてはじめて、世界はひとつの「組曲」なのだ。

だからノイズも「消し去るべき敵」ではなく「この世界の一部」であり、「救われるべき存在」なのだ。

 

このエピソードを観たとき、俺はたぶん人生であれほど感動で泣いたことはないというほどに、自分でも信じられないほどの量の涙を流していた。ああ、これは俺の物語だ、俺はまだこれから生きていけるんだ、生きていていいんだ、と思った。

「今は幸せに思えなくても、いつかはそう思える時がくる」。これを陳腐な楽観主義として一笑に付すのは簡単だが、物語のなかで放たれたこの台詞は、当時の俺にとって、強烈な説得力をもって響いた。俺はそのとき、心の底から「そうかもしれない」と感じた。

 

プリキュアが「悲しみの結晶」であるノイズをただ倒すのではなく、その存在を受け容れ、許し、救うことができたのは、最終話までのストーリーのなかで、彼女たち自身が自分や他者の過ちや欠点に向き合い、許し、克服することで成長してきたからだ。

俺はそんなプリキュア達の姿を見て、自分の過去も、いまの現状も、向き合い、許し、受け容れよう、乗り越えようと思うことができた。

 

スイートプリキュア♪』は俺にとって「福音」であり、自分の人生に最も深く関わったフィクションだ。その「恩義」はこの先忘れることはないだろう。

 

物語には人生を動かす力がある。それは映画でも小説でも、日曜朝の子ども向けアニメ番組でも変わることはない。失意の中で『プリキュア』に心を、人生を救われた人間が、少なくとも1人はここにいる。

 

暖かい季節が近づくと毎年あの頃のことを思い出す。ツタヤでレンタルしたDVDを家のリビングで再生するだけで一日が終わっていたあの頃だ。しかしそのとき眺めていたアニメのヒロイン達の姿は、あの頃もいまも、間違いなく俺に勇気や希望を与え続けてくれている。

 

そして忘れてはならないのが、『スイートプリキュア♪』が2011年に放送していたという事実だ。東日本大震災で日本中に「悲しみ」が渦巻くなか、「悲しみを受け容れて乗り越える」という、非常にセンシティブではあるが真摯なメッセージを発信していたのがプリキュアシリーズだったことはここに明記しておきたい。

 

後期オープニング主題歌「ラ♪ラ♪ラ♪ スイートプリキュア♪  〜∞UNLIMITED∞ ver.〜」の歌詞は、震災を踏まえたうえで聴くと、俺はなぜかいつも泣いてしまう。

 

シング! いま、みんなで

スイング! 唄いたい

FOR YOU(FOR ME)

FOR GIRLS(FOR BOYS)

その 涙かわくまで

 

 

昨日は今日の種

明日に花咲かせよう

どんなに暗い夜空にだって

星は光るファンタジー

子どもの頃から音楽をよく聴いていた

子どもの頃から音楽をよく聴いていた。

 

小学校4年生、9歳か10歳の頃だったと思う。漫画『DEATH NOTE』が実写映画化され、クラスでも人気を博していた。その映画版の主題歌であるRed Hot Chili Peppersの「Dani California」「Snow」が、俺が幼いながらにして(たぶん)初めて「カッコいい」と感じたロック・ミュージックだった。

もちろん当時は英語なんてわからないから、ネットにアップロードされたミュージック・ビデオを何度も繰り返し聴きながら、「発音」を覚えて歌っていた。要するにデタラメ英語だったが、フルコーラスで「そら」で歌っていたと思う。

ほどなくして、両親の影響でEaglesが好きになった。ベスト・アルバムをツタヤでレンタルして、親父からお下がりでもらった音楽プレーヤーで「Hotel California」や「Desperad」なんかを何度も聴いていた。気味の悪い小学生だ。

 

小5あたりは、洋楽よりも日本のポップ・ミュージックを聴いていた記憶がある。まあ、BUMP OF CHICKENとかRADWIMPSとかそういうのだ。ほかにはRIP SLYMEとか福耳(杏子、山崎まさよし元ちとせスガシカオスキマスイッチらによるユニット)、とか、B'zとかも好きだった。いまにしてみれば、J-POPからいろんなジャンルの音楽を吸収していた時期だったように思う。

 

小6くらいになると、ちょっと好みがロックに寄ってきて、AerosmithとかOasisを聴くようになる。エアロスミスはお小遣いでベスト・アルバムを買った。その封入特典のギター・ピックはまだ未開封のまま持っている。

日本の音楽では、マキシマムザホルモンが好きだった。これもアニメ版『DEATH NOTE』がきっかけだったと思う。どんだけデスノート好きなんだ俺。

マキシマムザホルモンのホームページもよく覗いていた。メンバーの紹介ページでは「影響を受けた音楽」の欄に長々といろんなバンド、ミュージシャンの名前が並んでいて、それを手がかりにたくさんの音楽にアクセスしていた。

たしかこの頃からギターを始めたんだと思う。ホルモンのバンドスコアを買って練習して、『ぶっ生き返す』というアルバムに入っているすべての曲を弾けるようになるまで練習した。

 

中学にあがると、CDをレンタルするためにひたすらツタヤに通っていたような気がする。この頃は本格的な洋楽厨だった。SYSTEM OF A DOWNやTool、Marilyn MansonNirvanaRadioheadあたりが好きだった。

もちろん日本のロックも聴いていて、特に神聖かまってちゃんにはかなり傾倒していた時期があった。ライブにも行った。もしかしたら初めてライブに行ったバンドが神聖かまってちゃんだったかもしれない。「ロックンロールは鳴り止まないっ」を初めてYouTubeで聴いたときのショックはいまでもよく覚えている。

あとは銀杏BOYZ野狐禅もかなり聴いた。部活の帰り道、本当は持ってきちゃいけない音楽プレーヤーとイヤホンを服の下に通して、こっそり野狐禅の「山手線」を聴きながら帰ったりしていた。なんというか中学生ってセンチメンタルな生き物だよなと思う。

この年はthe pillowsの結成20周年記念ベスト・アルバム『Rock stock & too smoking the pillows』が発売された年で、このアルバムも擦り切れるほど聴いていた(レンタルのmp3音源だから擦り切れるも何もないのだが)。「New Animal」のイントロのギターとかいま聴いても痺れるほどカッコいい。

 

中2のときのことはあまりよく覚えていない。特にこれといって大きな出来事があったわけではないのだが、この頃から少し精神的に不安定になり始め、中2の秋頃から卒業するまでほとんど学校に行っていなかった。それでも音楽だけは聴いていたように思う。この時はマジでヤバい時期で、syrup16gにはずいぶんお世話になった。あとAphex Twinとか聴き始めたのもこの頃かな。

 

学校に行っていないあいだ、深夜から明け方にかけて外を散歩するのが好きだった(補導対象だ)。そのときいちばん聴いていた音楽がゆらゆら帝国だった。

ゆらゆら帝国というバンドはもはや俺の中で「レジェンド」であり「殿堂入り」している。ロックバンドとしては永遠に不動の1位だ。あらゆる点において完璧なバンドだと思う。楽曲、サウンド、歌詞、佇まい、アートワーク、ボーカルの色気のあるブサイクさ、アルバムを重ねるごとの変化、解散の仕方、そのどれもが一級品で、ここまで高いアベレージを叩き出すロックバンドを少なくとも日本において俺はほかに知らない。

ゆらゆら帝国をきっかけにして、サイケデリック・ロックが自分にとっての核になったように思う。

 

高校生になると、山本精一をはじめとする日本のインディーズ音楽を漁り始める。山本精一という人はとにかく多作で、ひとりでいくつものバンドやユニットに参加している。ボアダムスのギタリストとして知られているが、ソロ活動に加え、羅針盤想い出波止場ROVO、PARA、Novo Tono、ya-to-i、MOST等、ちょっと数えきれないほど多岐にわたる活動をしている。とくに羅針盤の『ソングライン』『福音』、山本精一Phewの『幸福のすみか』は名盤だと思う。俺は結局のところポップで変な音楽が好きなのだが、この嗜好が形成されたのは山本精一に依るところが大きい。

 

大学1年のとき、moools(モールス)というバンドに出会う。20年以上メンバーを変えず活動しているベテランバンドで、東京のインディーズシーンではヒーロー的ポジションらしい。mooolsの楽曲にはフックがないというか、一度聴いてすぐに良さがわかるタイプの音楽ではなく、事実俺はハマるまでに3ヶ月を要した。しかし一度ハマるとその沼から抜け出すのは容易ではない。随所にユーモアが散りばめられたサウンド、バンドという「生き物」としてのグルーヴ、あまりに前衛的すぎる歌詞、時々顔を覗かせる綺麗なメロディ(時々なのが良い)、あまり高いとはいえない歌唱力のボーカル、地味にテクニカルなリズム隊(ほんとに地味)、とにかく客を笑わせることに特化しまくったライブパフォーマンス、その全てが奇妙なバランスの上に成立している。正直ゆらゆら帝国の次に好きなバンドだ。

 

そして大学2年くらいのときに、なぜか小沢健二にハマる。自分でも振り幅が理解できないが、俺のiTunesの再生回数ではかなり長いあいだ「ラブリー」が1位だった。『Life』が名盤とされているが、その前の1stアルバム『dogs(犬は吠えるがキャラバンは進む)』のほうが好きだ。とくに「天使たちのシーン」という14分くらいある曲はあらゆるJ-POPの中でも最高クラスの名曲だ。こんなに美しいJ-POPを俺はほかに知らない。

Flipper's Guitarの『CAMERA TALK』もアホみたいにヘビロテしていた。30年近く前の音楽とは到底思えない。「恋とマシンガン」はサークルで作った演劇のテーマソングに使ったこともあって思い入れが深い。アルバムでは「ビッグ・バッド・ビンゴ」が好きだ。

たぶん何十年後かになって「自分にとっての青春の音楽」を思い出すことがあるとすれば、それは小沢健二とFlipper's Guitarだと思う。現時点での40代の音楽好きがそうであるように。これらの音楽には19歳の俺と20歳の俺のあらゆる感情が詰まっている。

 

大学3年にして、生まれて初めてアイドルにハマる。まあこれを読んでる人は俺のツイッター見てるだろうから今更説明するまでもないと思うが、皆さんご存知、富士山ご当地アイドル3776だ。これについてはいつかちゃんとした形で書きたいと思っているのでここではあえて書かない。ただひとつ言えるのは、いま現時点で、日本でこの水準の音楽をやっている人は、俺の知る限りほかにいない。「前衛」という意味では完全に「最前線」だ。

 

大学4年は米津玄師とかハンバートハンバートとか聴いてた。というか丸5ヶ月くらい米津玄師しか聴いてない時期があった。米津玄師はいまメチャクチャ売れてるけど、やっぱりすげえな、天才だなと思う。こういうちゃんとした才能のちゃんとした音楽がちゃんと評価されてちゃんと売れてるのは音楽好きとしては喜ぶべきことだ。

米津玄師の多彩な才能のなかでもっとも注目すべきは何よりもアレンジの力量だと思う。編集力といってもいい。歌詞もメロディも面白いと思うがあのアレンジあっての米津玄師だと思う。かなり変なところでかなり変な音を入れてくる。そこにその音入れるの? という箇所がかなり多い。地味にめちゃくちゃ細かいところ凝ってる。個人的にいちばん「狂ってんな」と思ったのは2ndアルバム『YANKEE』収録の「KARMA CITY」で、この曲、Aメロが2つある。どういうことかというと、歌詞もメロディも違う2つのAメロが同時進行する。実際に聴いてもらわないと伝わらないと思うが、わりとどうかしている。

米津玄師は1stアルバム『diorama』とか聴くとわかるけど元々はそれほど分かりやすいポップ・ミュージックを作るミュージシャンではなかった。『diorama』はサウンドとしては由緒正しいインディー・ギター・ロックという感じで、Sonic Youth的にノイジーなギターが随所に織り込まれている。1曲目のイントロからスライサーかかってるし、最後の曲ではギター6本くらい重ね録りしてる。要は「インディーズ的な売れない音楽も作れる」人が、「あえて意識的に」売れ線に走っているのだ。そこが米津玄師のミュージシャンとしての力量を物語っている。

 

さすがにそろそろきりがないのでこの辺にしておく。ここに書ききれなかった音楽も多いが、基本的にいまの自分のベースというか、過去を振り返ったときに各ポイントで重要な影響を受けたと思われる音楽を挙げた。乱雑な殴り書きに近いが、一度自分の音楽遍歴みたいなものを可視化したいと思っていたので、その目的は達成できたように思う。

 

最近自分よりたくさん音楽を聴いている人達と仲良くさせてもらう機会が増え、まだまだ世の中には面白い音楽が山ほどあるな、と感じる。とくにアイドル界隈はいま本当に面白い。奇妙な音楽やシンプルにハイクオリティな音楽がたくさん転がっていてなかなか飽きることがない。

 

こんな風に、子どもの頃から音楽をよく聴いていたし、いまも毎日聴いている。音楽を聴かないで一日が終わることはほとんどない。音楽を聴いているだけで毎日驚くことができる。ただそれだけで何かが報われるような気持ちになる。そして明日も何か驚くことができればいいな、と思いながら今日はもう筆を措くことにする。眠いし。

 

さて明日の朝は何を聴きながら出勤しようか。

ホラー映画が好きだ

ホラー映画が好きだ。なぜ好きなのか自分でもあまりよくわかっていないが、スクリーンの中で登場人物が無惨に殺されたりするのを眺めていると、なぜだか生きる力が湧いてくる気がする。

しかしホラー映画は「怖くて、楽しい」ものばかりではない。観終わったあとに「こんな恐ろしいことがもし自分の身に起きたら」と思わせるようなものもある。そしてそういう映画こそホラー映画としては傑作なのだと思う。

 

数あるホラー映画の中でも俺がいちばん好きな作品は、アカデミー賞やカンヌでも評価の高い監督、コーエン兄弟の『ノーカントリー』だ。

 

ノーカントリー』をホラー映画にカテゴライズすることに違和感を覚える人も多いだろう。実際、レンタルビデオ屋の「ホラー」の棚には置かれていないはずだ。「サスペンス」に分類するのが普通だと思う。

しかしこれはれっきとしたホラー映画だ。この分類は『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』(荒木飛呂彦,集英社新書)に倣っている。

本書で荒木(俺はジョジョオタなので本当は「先生」と付けなければならないのだが、敬称は略す)はホラー映画をこう位置付けている。

「人を怖がらせるために作られた」映画。それが何よりもまず、僕にとってのホラー映画です。

(…)つまり「社会的なテーマや人間ドラマを描くためにホラー映画のテクニックを利用している」と感じさせる作品よりも、まず「怖がらせるための映画」であって、その中に怖がらせる要素として「社会的なテーマや人間ドラマを盛り込んでいる」作品。それこそがホラー映画だというわけです。

(…)定義というよりも願望として、ホラー映画は何よりもまず恐怖を追求するものであってほしいですし、ホラー映画と認められるのはそういう作品なのです。(「まえがき」13-15)

この「願望」に照らせば、『ノーカントリー』はホラー映画であると俺は思う。それも正真正銘のホラー映画だ。

ノーカントリー』がどんな作品かを簡単に説明する。

モスという男が偶然大金の入ったケースを見つけネコババする。しかしそれはギャングの金で、モスはギャングに雇われた殺し屋シガーに追われる身となる。シガーは行く先々で罪のない人をも次々と殺していき、やがてモスに近づいていく。

…というのが大まかなストーリーなのだが、今作を「ホラー映画」たらしめているのはこのハビエル・バルデム演じる「殺し屋シガー」の存在である。

変な髪型で終始無表情に淡々と人を殺していく様はさながら「死神」のようでもあり、何の罪もない人が次々とシガーに殺されていく光景は「不条理」そのものだ。そもそも冒頭の看守絞殺シーンからして最高にイカれている。前頭葉欠落してる感が半端ではない。怖すぎ。

 

さて、このシガーという恐ろしいキャラクターは何を象徴しているのか。

 

それは「死と暴力の恣意性」である。

 

かなり個人的な見解だが、これはホラー映画の最も中核的な概念であるように思える。

「恣意性」とは、元はソシュール言語学の用語だが、ここでは「原因と結果に明確な結びつきが存在しないこと」程度の意味と捉えてほしい。つまり、「ある日突然人が圧倒的な死や暴力に曝されるということに、特別な理由も資格もありはしない」ということだ。

ニュースを見ればわかる。通り魔に殺された人々に「通り魔に殺される理由」はない。それは「たまたま」その人だったのであり、「たまたま」自分であったかもしれないというだけだ。

 

ノーカントリー』が「死と暴力の恣意性」を描ききっている理由はこのシガーの行いによるものだけではない。未見の方に配慮してネタバレは避けるが、終盤でシガーの身にあることが起こる。その直前の一瞬の短いカットは「シガーもまた『死と暴力の恣意性』からは逃れられない」ということを意味している。

 

人がある時、突然意味も理由もなく理解もできないような不条理な死や暴力に見舞われる、という出来事は当たり前に現実に存在している。俺たちはホラー映画を観ているとき、スクリーン越しにその「現実」を見ている。映画館からの帰り道、その「現実」が自分の身に降りかからないとは言い切れないのだ。

そう考えたとき、やはり俺は「怖い」と感じる。『ノーカントリー』が傑作であり、ホラー映画であるといえるのは、この「恐怖」を凡百のホラーとは一線を画す形でまざまざと見せつけた点にある。

このようにして、ホラー映画はいつも繰り返し繰り返し俺たちに語りかけているのだ。

「次はお前の番かもしれないぞ」と。

 

「われわれは高層ビルや飛行機の爆発でばらばらになった人体を目にする。そして、明日は自分の番かもしれないという恐怖のうちに生きている。誰もがよくわかっている。こういったことは『醜い』。道徳的な意味だけでなく、肉体的な意味でも。

人生は悲鳴と激怒に満ち、愚か者が語る物語に過ぎないという考えの運命論によって、われわれがそれらの醜さを受け入れるとしても。美的価値の相対性についてまるで知らなくても、これらの場合、われわれは躊躇なく醜を認識するし、この醜を喜びの対象に変えることはできないという事実は消えない。

そこで、われわれは何世紀もの美術がひどく執拗に繰り返し醜を表現した理由を理解するのだ。その声は副次的なものであるかもしれないが、われわれに思い出させようとしたのだ。形而上学者の楽観主義にもかかわらず、この世界には、どうしようもないことだし、悲しいことだが、何らかの悪があると。」

ウンベルト・エーコ『醜の歴史』東洋書林より引用。手元にないのでページ数の記載は省略)

 

 

誰に見られるわけでもないのだが

誰に見られるわけでもないのだが、なんとなくまとまった文章が書きたくなることが時折あって、思いつくままにブログを開設してみた。

こういうのはあまり長続きしないたちで、昔から日記なんかをつけ始めてはすぐに飽きてしまうという経験を何度も繰り返している。

たいていのことはツイッターで事足りるし、あえて長文で書くような出来事や思想や趣味なんてものも大してあるとは思えないのだが、ただ「書く」という行為に伴う快楽は知っていて、それをもう少しだけ追求してみたくなったのかもしれない。

 

このブログにどんなことを書くかはまだ考えていない。好きなものごとについて自閉的に語ったり、車を運転しながら考えた取るに足らない思いみたいなものを恥ずかしげもなく晒したりするかもしれない。あるいはいつものように飽きて放置したり、いつのまにかブログ自体消えているかもしれない。

いずれにせよこういうのはとにかくやってみることが大事で、飽きたら飽きたでそれで構わないのだと思う。最初から自分の為だけにやることだし、ほんとに気が向いたときに更新していくつもりだ。

 

手始めに少しだけ自分のことを書く。

 

俺(一人称というのはいつも迷う。とりあえずここではリアルで用いている一人称を使うことにする)はいま22歳で、今年の春に大学を卒業して社会人になったばかりだ。

大学では心理学を勉強していた…のだが、そこである教授(俺の「師匠」だ。)に出会い、心理学よりも哲学や現代思想、文学のほうが面白くなってしまった。具体的には、哲学は永井均現代思想ラカンフーコー、文学は村上春樹が興味の対象になる。

 

村上春樹については、すごく好きなわけでもないし、ファンというわけでもないのだが、先述した「師匠」が受け持つ講義で村上春樹作品の読解のようなことをしていて、一時期は俺が学生に配るレジュメを作ったり、教壇に立って講義したり、要は教授と2人で授業を進める、というまあまあ変なことをしていた。その時書いた文章ももしかしたらここに載せるかもしれない。

 

ラカンフーコーはその存在を知ったときからずっと興味を惹かれている。

ラカンはフランスの精神分析家で、とにかく書くものが異様なまでに難解なことで知られている。その主著『エクリ』は翻訳の問題もあるがほとんど呪文というか電波文に近い。

ラカンが考えたことを超絶単純化すると、「人の心は、言葉が集まってできている」ということだ。だから精神的な症状を丁寧に紐解いていくと、結局はその人の心の奥にある「言葉」が問題になってくる。そしてそれは精神病や神経症、倒錯といった形で現れてくる。

ラカンについては勉強不足の俺がしょぼい説明をするよりも、『疾風怒濤精神分析入門 ジャック・ラカン的生き方のススメ』(片岡一竹 著,誠信書房)を一読して頂くのがベストだと思う。この本は俺が知る限り最良のラカン入門書だ。Amazonにもレビューを投稿したくらいだ。これはマジの良書なので読んだ方がいい。

 

…自分の話をするつもりがどんどん脇道に逸れてきたので、フーコー永井均については割愛する。どのみちうまく説明できる自信もないし。

 

俺は静岡県静岡市で生まれ育って、いまも静岡に住んでいる。『ちびまる子ちゃん』のさくらももこ先生と同郷だ。

小さな頃から『まる子』を観て、読んで育ってきて、『まる子』の世界と同じ街に住んでいる、というのを実感しながら暮らしてきた。だから『まる子』はほとんど俺のアイデンティティの一部になっている。誇りといってもいい。I'm Proudだ。華原朋美だ。

 

そして俺には静岡でもうひとつ、現在進行形で「誇れるもの」があるのだが、それについてはまた後日書くこととする。

 

中途半端で恐縮だが、ひとまず今日はここまでにしよう。なぜなら眠いからだ。もしここまで読んでくれた方がいたならば感謝する。これからもよろしく。

 

では。